南砺市井波の個別指導塾 成和学舎のブログ

砺波のそのまた奥地、南砺市井波で個別指導塾を営む榎木勝規のブログです。学習のコツから日々の教室でのできごと、子育ての日常についてつづります

音声認識ソフトVS人間

UDトークというスマホアプリをご存知でしょうか。

http://udtalk.jp/

端的に言うとリアルタイム音声認識&翻訳アプリです。

 

先日とある国際交流のイベントで、このUDトークを開発された青木秀仁さんとご縁があり、

外国語教育とテクノロジーについて最近考えていました。

 

今や話した言葉が瞬時にリアルタイムに文字化されて、同時に他の言語に翻訳される

というようなSFのような出来事が現実に起こり始めている、ということを実感します。

 

自動認識の精度はまだまだ低いようにも見えますが、短くて簡単な日常会話レベルでは

まったく問題がない状態で、特に認識精度が落ちるケースは、話者の滑舌が悪かったり、

強いなまりのあるイントネーションであったり、内容そのもののねじれであったりという要素で

コンピューター側が泣かされているように感じます。

 

そうなってくると、実際問題として、今後は「英語を話す力」よりも

「正しい自動翻訳がされやすい日本語(母国語)を選んで話す伝わりやすい話し方」

をする能力の方が大切になってくるのかもしれません。


ゆくゆくは、内容そのものを正確に伝える力さえ磨けば

外国語に翻訳するだけではなく、

その内容を古語にしたり、江戸時代風にしたり、文豪風にしたり、方言にしたりという

自分の国の言語の中でも自由自在にテイストを選んで遊べるようになるかもしれませんね。

 

教育の現場で

英語教育と日本語教育、どちらが大事?なんて議論をよく見かけます。

そこにおける日本語教育の内容も何をもって日本語教育とするのか、

日本語の何を教えるのかについて人によって意見の相違があるように思います。

 

私自身は、何語かが問題ではなく、「伝える技術」として

「コミュニケーション」をこれからの子どもたちは学んでいくべきであるし

正確に伝える方法の一つとして日本語のルールや技術も英語も、テクノロジー

学んでいけたら良いのではないかと思っています。

 

さて、今日書こうと思っていたのは実はもう一つ、別の話題で

この音声認識アプリの誤認識を見ながら考えていたことがあります。

 

誤認識された文章だけを読んでみると

おおまかにきっとこうだろうな、と推測できる部分もあるのですが

かなりずれてしまって、全体の意味はさっぱりつかめないということも

当然あります。

 

逆に言えば

高性能に進化した現代のコンピューターでも簡単にはできないことを

人間は無意識に、さらっとやっているんですね。

 

ここで人間礼賛をしたいわけではありません。

「耳で音を聞き取って認識する」という作業はそのように

コンピュータをもってしても誤るような本来高度な並行処理をしているのだ

ということをあらためて意識してみたいのです。

 

日常の何気ない会話でも

発せられた瞬間に意味が決まる単語もあれば

文脈の中で、ああ、さっきの言葉はこっちの意味だったか

という風に遡って意味が確定する単語もあります。

 

 

きみをそっとお皿の上に移そう。

 

「きみ」は、君なのか黄身なのか

お皿が出てくるぐらいまでは確定できませんね。

 

たこをあげたいと思うんだけど何が必要か分かる?

 

これに至っては凧なのか蛸なのか

一文が完結した時点でも決められません。

 

このように、「ことば」はそもそもが

すべての事象に対して1対1で固有の言葉が割り振られているわけではない以上

一定の曖昧さを避けられません。

 

それゆえ、音声を用いたコミュニケーションでは

聞き手はその瞬間瞬間で認識した音声情報に対して

 

その意味について「いくつかの選択肢」を含み持たせて

保留状態を保ったまま聞き進めつつ

 

意味が確定したところで遡って内容を把握しなおし

 

それと同時に新たに進行している音声情報を受け入れ続ける

という作業を繰り返すという

 

実に複雑な並行処理をしていることになるわけです。


 

これを考えてみると、学校の授業が分からないという子どもの頭の中では

自動翻訳アプリの誤認識レベルのちんぷんかんぷんな単語の羅列が

ずらりと並んでいるのであって、これを見て意味を理解しろとうのは

そもそも無理という状況になっているはずです。

 

そういう子たちはえてして言葉の意味や定義に対してあまり興味もこだわりもありません。

もともとがあいまいな状況なので、あいまいさの変化が気にならないのです。

 

きっちり理解できた状態を積み上げている子たちの頭の中では言葉の定義がすっきりしています。

その結果、教室で先生が語るキーワードが正確に理解できるので、意味がつながるようになります。

 

じつはこれは一朝一夕でできることではありません。

 

とくに幼児~低学年期では、

「たとえ正確に伝わっていたとしてもやらない・やりたくない」

というもう一つの障壁があるために

ある発話がどこまで相手に伝わっているのかを

正確に把握することが非常に困難です。

そもそも伝わっていないのか、伝わってはいるけどやりたくないだけなのか

この見極めが難しいので、言葉で伝えて反応を待つよりも

必要な時には叱って言うことを聞かせた方が手っ取り早い

というのが大方の対応です。

 

学校現場でも、たとえその子が話を聞いていなくても

言葉で話される内容を把握できていなくても行動できる

(周りの子の反応を見て真似をする、など)

そんなアプローチが併用されていることがほとんどです。

 

普段の生活においては、言葉を理解できなくても

 

「困らない」

 

だから、言葉の力を磨くモチベーションが

本人には育たないので

 

音声情報を受け取る能力が磨かれないまま

学年を上がっていくことも珍しくはありません。

 

私がかつて都内で塾講師をしていたころ

『アルゴクラブ』という

http://algoclub.com/classroom/index.html 

低学年から楽しめる知育教室のような講座も担当していました。

 

そこでは、言葉も遊びの要素として

いかに正確に聞き取れたかによって

ゲームの勝敗に直結するようなモチベーションを持たせて

「聴く力」も磨いていました。

 

幼い子ども時代はだれしも聴き取り間違いをして

それがまた可愛らしく傍から見て楽しくもあります。

それを自分で気づいて修正していくプロセスは、

決して幼児期に限られることではありません。

 

聴いて理解する力は

日々の落ち着いた会話が土台となります。

 

また、各科目の授業が分かるようになるための土台づくりは

その科目の約束事ともいえる一つ一つの言葉、キーワードの意味を

正しく把握することから始まります。

 

意味と意味が組み合わさることで、論理が展開されるようになります。

まずは新学年のスタートにあわせて

お子さんの学習環境、言語環境、コミュニケーション状況を

ぜひ振り返ってみて下さい。

 

あたり前のようでいて

難しいのが音声コミュニケーションです。

 

 

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